「情報通信省の設置を提案する」――、政府がデジタル庁の在り方を検討する中での唐突な話と思われるだろうが、提案の理由がある。日本の政府や企業が世界に比べて、デジタル化に遅れた原因が、日本のIT産業の弱体化とIT活用の効果を最大化する高度IT人材不足にもあるからだ。デジタル化の成果を最大化するためにも、デジタルを先取りする新しいIT産業の創出に早急に取り掛かる。
実は、十数年前に総務省や経済産業省などの情報通信関連の政策を一元化するために情報通信省の新設が議論された。それに応えて、業界団体の電子情報技術産業協会(JEITA)が2006年7月にIT産業の国際競争力向上に向けた提言「情報システム産業ビジョン2016」を策定し、10年後にグローバル市場で存在感を示す姿を描いた。
その内容は個別の製品やサービスではなく、「仕組み」、つまり社会を変革するプラットフォームの構築だった。そのためには、社会システムを担う全体統括企業とITインフラの技術や製品、サービスを手掛ける執行企業に分かれて、技術やノウハウを磨き上げて、両者の組み合わせでグローバル市場で打ち勝つというものだった。
だが、米国のGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)や中国のBAT(Baidu、Alibaba、Tencent)のような新興IT企業は生まれなかった。伝統的なIT産業もグローバル化の中で、製品開発力や技術力での存在感を失っていった。その象徴的な出来事が、政府が各省庁の情報システムを統合、集約する第2期政府共通プラットフォームのクラウド基盤に海外ITベンダーを採用したことだ。
日本の大手ITベンダーが自前のパブリッククラウドサービスから事実上撤退し、SI(システムインテグレーション)に活路を求めたことにあるのだろうが、同プラットフォームの運用管理をNEC、調達を日立システムズ、クラウド化の工程管理をNTTデータに分けて発注する。各省庁のクラウド移行作業者は近く決めるそうだが、政府に全体を統括する力がなかったら業務効率化などの大きな効果は期待できないだろう。
クラウド市場の動向に詳しいガートナージャパンの亦賀忠明氏は「クラウドは自分で運転することで、ビジネス成果を最大化できる可能性があるテクノロジーサービスだ」と指摘し、運転スキルなしにクラウドを活用すれば事故につながることもあるという。つまり、機密情報漏えいやプライバシー侵害などのリスクだ。
問題の一つは、クラウド活用の効果を最大化するIT人材の不足にある。情報処理推進機構(IPA)の「IT人材白書2020」によると、この数年間、IT人材不足とする企業は8~9割で推移する慢性的な人材不足で、いつになっても解消されない。専門教育機関の設置も何度となく議論されたが一向に前に進まず、人工知能(AI)やモノのインターネット(IoT)、ブロックチェーンなどの先端IT人材の獲得に苦労する企業は少なくない。政府も同じ状況にあるだろう。しかも、2~3年で異動するローテーションで専門スキルを身に付けるのはなかなか難しいだろう。IT人材不足が丸投げを招くこともある。
大事故は後を絶たない。マイナンバーカードの管理システムの構築・運用には、日本のIT産業を代表するNTTコミュニケーションズとNTTデータ、富士通、NEC、日立製作所の5社が関わっていたにもかかわらず、2016年初頭の運用開始時から障害が相次いだ。直近では、10月1日に発生した東京証券取引所のシステムダウンの原因は、バックアップ機への切り替えがオフになっていたからだと報道されている。うっかりなのか、技術力にあったのか分からないが、切り替えに使う製品は海外ベンダー製だったという。
それ以上の大きな問題も指摘されている。海外ITベンダーに国家の重要データを任せることだ。新型コロナウイルス感染症で緊急的に必要になったITシステムを海外クラウド上で作り上げたある地方自治体は「運用は日本のIT企業が担っているので心配はない」と、安全との見解を示す。Amazon Web Services(AWS)や阿里巴巴集团(アリババグループ)など米中クラウドを導入する企業は増えているが、国と自治体、企業のセキュリティなど安全に対するレベルや考え方は同じではないだろう。
インターネットイニシアティブ(IIJ)の鈴木幸一会長は次のコメントを寄せてくれた。「国が絶対に守るべきデータについては、各国とも自国にデータを置き、海外のクラウドを利用していないというのが一般的な対応。日本はその意味では、国として守るべき基本的なデータ(情報)の取り扱いについて認識が甘いのではないかと思う。日本のデジタル庁構想が古びて見えるのは、ITが巨大な技術革新である理由の一つとして、あらゆるデータがネットワーク上にあるという基本的な認識に欠けているからではないか。それを可能にしたのがインターネットになる」
産業構造にも問題がありそうだ。ユーザーに言われものを作り上げるシステム構築の在り方や多重下請け、労働集約、人月ビジネスなどだ。要求が正しく伝わらないこともある。そんな中で、ITに詳しくない依頼人がITベンダーに「こんな感じで頼む」と曖昧な要件定義のまま発注し、開発に着手したら、どんなことが起きるのだろう。依頼人もIT玄人になり、IT産業のメンバーも新しい人たちに入れ替える必要がある。
AIやIoTなどデジタル技術を開発するスタートアップは次々に生まれているが、数百億円の売上規模に成長したIT企業は1社もない。多くは数十億円どまりだ。新しい勢力の台頭を阻んだことで、クラウドやAIだけではなく、ウェブ会議システムまでZoomなどの米国勢に抑えられてしまった。
コンピューターからIT、デジタルへと進化し、世界のプレーヤーはどんどん変わっていくのに、日本は大手ITベンダーを頂点とする産業構造を維持してきたからだ。世界に通用する製品やサービスを開発できず、グローバル市場におけるポジションを失ったままでいいのか。デジタル時代を見据えた製品やサービスを開発する新しいIT企業とIT人材の育成に取りかからなければ、日本は世界シェアを失う。
現在、内容を詰めているデジタル庁は行政の業務やプロセスをデジタル化し、国民サービスの向上などを図るものと理解する。既得権益者を排除しながら、国民の情報を一元管理し、データ活用するITシステムを含めた仕組みは1年や2年でできるものではないだろう。まずはNTTコミュニケーションズや富士通、NECなどでパブリッククラウドに携わった技術者らを結集し、“国産クラウド”を立ち上げる手もあるだろう。
JEITAも情報サービス産業協会も今のところ意見を述べていないが、デジタル時代に向けた業界再編を促し、スタートアップの成長を妨げないことも肝要だ。しつこいが、先端IT人材を育成し、新IT産業の創出を急がなければ、政府も企業もデジタル活用の効果を享受できなくなる。それらを推進する情報通信省、一歩進めた情報通信デジタル省の創設に期待する。
- 田中 克己
- IT産業ジャーナリスト
- 日経BP社で日経コンピュータ副編集長、日経ウォッチャーIBM版編集長、日経システムプロバイダ編集長などを歴任、2010年1月からフリーのITジャーナリスト。2004年度から2009年度まで専修大学兼任講師(情報産業)。12年10月からITビジネス研究会代表幹事も務める。35年にわたりIT産業の動向をウォッチし、主な著書は「IT産業崩壊の危機」「IT産業再生の針路」(日経BP社)、「ニッポンのIT企業」(ITmedia、電子書籍)、「2020年 ITがひろげる未来の可能性」(日経BPコンサルティング、監修)。